2009年06月18日

思考(しこう、英: thinking)とは、結論を得ようとする

思考(しこう、英: thinking)とは、結論を得ようとする観念の過程のことである。目標に至る筋道方法を探そうと働く精神活動のことを言う。

知覚や記憶の働きだけでは不十分な場合に、どのように理解し、また、行動するべきかを考える働きのことを思考と言う。思考は言語によって行われると言われるが、図形的に考える場合のように言語によらない思考も考えられる。また帰納的思考、演繹的思考のように推論の種類によって分類する場合もある。

思考過程とは分析、総合、比較、抽象、概括などの段階をもつ過程である。

分析と総合は最も基本的な思考過程である。

分析は物事を一つ一つの要素や性質に分解する過程である。
総合は分析に対して、物事を構成している要素や性質を結び合わせて統一的に構成する過程である。
比較はこの分析と総合に基づいて、物事の要素や性質を比べてそれらの類似点と相違点を明らかにする過程である。

抽象と概括は思考過程の最終段階である。
テニス
セキュリティ
花火
仏教絵画
東北地方
壁画
日用品
セパタクロー
印刷
水球
アスペルガー症候群
学習塾
ベリーダンス
北陸地方
水彩画
恐竜
水墨画
両生類
ジオキャッシング
アニマルセラピー


抽象は比較を通して、物事の本質的な性質と非本質的な性質を区別して、非本質的な性質を取り除いて本質的な性質を取り出す過程である。
概括は物事の類似点或いは抽象された本質的な性質を一つにまとめる過程である。

こうした思考過程は概念、判断および推論などの思考形式に具現されている。

概念は分析、総合、比較、抽象及び概括などの思考過程を経て形成された、物事の本質的な性質をとらえる思考形式である。
判断は物事がある属性をもつかどうかと判定する思考形式であり、大まかに「感覚、知覚や感情に基づいた判断」と「より高次な思考に基づいた判断」とに分けられる。
推論は一つか複数かの判断から新しい判断を導き出す思考形式である。推論には演繹、帰納、そして仮説形成の三つの種類がある。概念と判断と推論の間には密接な相互関係がある。すなわち、概念の形成にはしばしば判断と推論を通す必要がある。判断は概念を対象とする判定であり、しばしば推論を通す必要もある。推論は既知の判断から新しい判断を導き出すものである。

2009年05月31日

ドイツのインフレ

第一次世界大戦後のドイツでは、連合国側に対して1320億金マルクの賠償金支払いが課された。しかし、これはドイツの支払い能力を大きく上回っており賠償金の支払いは滞った。これを理由に1923年、イギリスの反対を押し切ってフランス・ベルギーが屈指の工業地帯であり地下資源が豊富なルール地方を軍事占領した。このため、従来の賠償金支払いに加えて、地下資源を輸入に依存せざるを得なくなり、現地で進駐に抵抗するストライキを起こした住民への経済的補償も必要とされた。既に第一次世界大戦中よりドイツではインフレが進行していたが、これらの事態により致命的な状況へと導かれ、空前のハイパーインフレが発生した。この結果、1年間で対ドルレートで7ケタ以上も下落するインフレとなり、パン1個が1兆マルクとなるほどの状況下で、100兆マルク紙幣も発行されるほどであった。
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この破滅的な状況下で、ドイツの人々はヴェルサイユ体制への不満を募らせたが、シュトレーゼマン首相のレンテンマルク発行などにより奇跡的にインフレが収拾されたこともあり、この段階では議会制民主主義が揺らぐことはなかった。このインフレ期にアドルフ・ヒトラーが起こしたミュンヘン一揆も、失敗に終わっている。

しかし、1929年の世界恐慌でドイツ経済が再び崩壊すると、議会制民主主義への信頼は失われ、ヴェルサイユ体制打破を掲げる反動的なナチスへの支持が急増し、ファシズム政権の成立へと至った。

ハンガリーのインフレ [編集]
ハンガリーでは第二次世界大戦後に激しいハイパーインフレーションが発生した。このときのインフレでは16年間で貨幣価値が1垓3000京分の1になったが、20桁以上のインフレは1946年前半の半年間に起きたものである。大戦後、1945年末まではインフレ率がほぼ一定であり対ドルレートは指数関数的増大にとどまっていたが、1946年初頭からはインフレ率そのものが指数関数的に増大した。別の表現でいえば、物価が2倍になるのにかかる時間が、一ヶ月、一週間、3日とだんだんと短くなっていったということである。当時を知るハンガリー人によると、一日で物価が2倍になる状況でも市場では紙幣が流通しており、現金を入手したものは皆、すぐに使ったという[1]。

1946年に印刷された10垓ペンゲー紙幣(紙幣には10億兆と書かれている)が歴史上の最高額面紙幣であり(ただし、発行はされていない)、最悪のインフレーションとしてギネスブックに記録されている。

なお、実際に発行された最高額面紙幣は1垓ペンゲー紙幣(紙幣には1億兆と書かれている)である。

※1京は1兆の1万倍(10の16乗)、1垓は1京の1万倍(10の20乗)

アルゼンチンのインフレ [編集]
1988年、経済成長の後退からハイパーインフレが発生。1989年には対前年比50倍の物価上昇が見られ、1992年にアルゼンチン・ペソと米ドル間の固定相場制を導入するまで、経済が大混乱となった。国家財政の破綻はもちろんのこと庶民のタンス預金は紙屑同然となった。

2009年04月28日

五大国

五大国(ごたいこく)は、世界を政治経済・軍事の両面でリードする5つの大国のことである。五大国の内訳は時代によって変化してきた。

9世紀のウィーン体制下での五国同盟(1818年四国同盟より改称)加盟国(イギリス、フランス、オーストリア帝国、プロイセン王国、ロシア帝国)を五大国としている。
第一次世界大戦後はヴェルサイユ条約に基いたヴェルサイユ体制が国際関係の柱となった。戦前の列強のうち、敗戦国となったドイツ、オーストリアと共産化によって国際社会から孤立したソビエト連邦が排除され、戦勝国となった大日本帝国とイギリス、アメリカ合衆国、フランス、イタリア王国が世界五大国と称された。このうち、アメリカ合衆国を除く4ヶ国は、国際連盟発足時の常任理事国であった。

ドイツとソ連が国力を回復させて軍備を増強し、再び列強の一員に加わった1930年代後半になると、従来の「五大国」という括り方はされなくなっていった。

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現在では、第二次世界大戦の戦勝国のうち、国際連合の設立に中心的な役割を果たし、なおかつ常任理事国である「Permanent 5」と呼ばれるアメリカ合衆国、イギリス、中華民国(中華民国は、対立する中華人民共和国に常任理事国を譲って国際連合を脱退)、ソビエト連邦(ソ連崩壊後は、ロシア連邦に代わる)、フランスが「五大国」に相当するという意見がある。なお、これら常任理事国の母国語の、英語、フランス語、中国語、ロシア語は、国際連合の公用語である。またこの常任理事国のいずれもが核兵器を保有しており、核拡散防止条約にも調印している。

常任理事国ではないが日本とドイツは、高い経済力と地政学の要因から潜在的な大国と見られている。日本、ドイツ、インド、ブラジルは常任理事国に加盟しようとする動きがある。冷戦時代は、アメリカ合衆国とソ連が五大国の中でも抜きん出た存在だったが、ソ連崩壊後はアメリカ合衆国の一極化となった。強大な力を持つアメリカ合衆国は、国連の反対を押し切ってイラク戦争に突入するなど従来の五大国のパワーバランスは変化しつつある。
G8の初期メンバーであり、G8の中でも高い経済力を持つ民主主義国家である日本、ドイツ、アメリカ合衆国、イギリス、フランスをもって五大国と呼ぶことがある。現在でも核を保有する常任理事国を五大国とするP5を真の五大国とするか、戦前戦後問わず力の強い国を5大国とするG5(G8)を真の五大国とするかで争いがある。

統一前のイタリアでは有力な都市国家をさして五大国と呼んでいた(フィレンツェ共和国(メディチ家)、ミラノ公国、ヴェネツィア共和国、ローマ(ローマ教皇領)、ナポリ王国)。

2009年04月12日

お盆

お盆(おぼん)は、太陰太陽暦である和暦(天保暦など旧暦という)の7月15日を中心に日本で行なわれる祖先の霊を祀る一連の行事。一般に仏教の行事と認識されているが、仏教の教義で説明できない部分も多く、古神道における先祖崇拝の儀式や神事に仏教行事の「盂蘭盆」(うらぼん)が習合して現在の形が出来たと考えられている。

仏教用語の「盂蘭盆」の省略形として「盆」(一般に「お盆」)と呼ばれる。 盆とは文字通り、本来は霊に対する供物を置く容器を意味するため、供物を備え祀られる精霊の呼称となり、盂蘭盆と混同されて習合したともいう説もある。 現在でも精霊をボンサマと呼ぶ地域がある。

盆の明確な起源は分かっていないが、1年に2度、初春と初秋の満月の日に祖先の霊が子孫のもとを訪れて交流する行事があった(1年が前半年と後半年の2年になっていた名残との説がある)が、初春のものが祖霊の年神として神格を強調されて正月の祭となり、初秋のものが盂蘭盆と習合して、仏教の行事として行なわれるようになったといわれている。日本では8世紀頃には、夏に祖先供養を行うという風習が確立されたと考えられている。 地方や、佛教の宗派により行事の形態は異なる。

また、お盆時期の地蔵菩薩の法会は「地蔵盆」と呼ばれ、(天道)大日如来のお盆は大日盆といわれる。

お盆は成句(イディオム)して使われることもある。「盆暮れ(ぼんくれ)」などと時季を指す言葉としての使用や、「盆と正月が一緒に来たよう」という"とても忙しいこと"または"喜ばしいことが重なること"のたとえ(慣用句)としての使用がそれである。

日付 [編集]
伝統的には、旧暦7月15日に祝われた。日本では明治6年(1873年)1月1日のグレゴリオ暦(新暦)採用以降、以下のいずれかにお盆を行うことが多かった。

旧暦7月15日(旧盆)
新暦7月15日(もしくは前後の土日)
新暦8月15日(月遅れの盆。2.を主に祝う地方では旧盆とも)
その他(8月1日など)
しかしながら、明治6年(1873年)7月13日に旧暦盆の廃止の勧告を山梨県(他に新潟県など)が行うということもあり、1.は次第に少数派になりつつあり、全国的に3.(月遅れのお盆、旧盆)がもっぱらである。ただし何代かに渡り東京に住まう人々は、2.の新暦7月15日をお盆とし、墓参りなどの行事もこの時期に行われる。例えば、神奈川県、東京都に檀家が分布するような寺では、東京都の檀家からは、7月半ば(2.)に呼ばれ、神奈川県の檀家からは8月中旬(3.)に招かれるというようなことがある。しかしながら、東京、神奈川などの関東の地域(特に古くからの市街地、但し北関東は除く)では現在も7月半ばのお盆が一般的で、お盆用具の販売はもっぱらこの時期に行われている。他にも、北海道では函館市や根室市、佐呂間町の若佐地区、北陸の石川県金沢市、静岡県都市部などに2.の新暦7月にお盆を行う地域がある。岐阜県中津川市付知町、中津川市加子母は8月1日である。

現在の報道メディアでは、多数派である8月中旬(3.)を「お盆」と称するため、「お盆」というと月遅れのお盆を指すことが全国的になりつつある。ただし、沖縄県では現在でも1.の旧暦による盆が主流である。そのため、お盆の日程は毎年変わり、時には9月にずれ込む。

なお、旧暦での盆を旧盆というが、一部の地方を除いて通常、新暦での盆は新盆[1]とは言わない。新盆(にいぼん)は別の意味となる。

大和撫子 きゃく サバンナ スキニー 情熱支援 ジャング ナリー ハンドカ ヒットパレ シリング ファンキー サーモス カペラ サラリー ニッケ フリフリ シュプネ ルサン レセプト パング テーション ジェロ スイス イライン おりあお パラシ バーゼル 夢街道 桜雨1押 ノート ワスレ どんしゅう プリン ジャスラック レア日本 永遠偉 白い街 パイロット ブイディ ストーブ チャウダ トカラ 管弦 アビブ スター スティック オモ モカ モンタナ ほうすう

2009年03月28日

性科学映画

性科学映画(せいかがくえいが)とは1960年代から1970年代にかけて西ドイツを中心に製作された映画のジャンルである。

性医学、性科学、心理学、解剖学、衛生学、生理学を用いて、ドラマ仕立てで正しい性知識を啓蒙しようとした性教育的要素の強い映画であり、キンゼイ博士のレポートやその他性医学書を元に製作された映画を1960年代は性科学映画と呼んだ。観客はドラマ部分に登場する若い女性の裸体に興味を集中させたが、性科学映画は医学者やコンサルタントらの監修を受けて製作されており、科学者らによる解説や顕微鏡写真などのドキュメンタリー部分が映画の中の大きな位置を占めている。

ただし当初は至って大変真面目な理由で製作されていた映画も、裸を見たい観客に向けた見世物的観点やセンセーショナリズムによる描写が増え科学的・教育的な要素はどんどん希薄になり、挙句の果てにはポルノまがいの映画になっていった。一種のセクスプロイテーション映画、あるいはモンド映画としても消費されたが、それでも性を学術的観点から描く側面がある事から、単なるポルノ映画とは一線を画する。

1970年代に入るとセックスを語ることはオープンになり、セックスを描く映画は性教育用という言い訳を必要としなくなった。この時期、ストレートなポルノ映画が全盛期を迎えたことからブームは下火になった。

代表的作品 [編集]
女体の神秘 Helga (1967)
続・女体の神秘 Helga und Michael (1968)
完全なる結婚 Van De Velde:Die Vollkommene Ehe (1968)
性の驚異 The Miracle of Love (Das Wunder der Liebe)(1968)
新婚における性のハーモニー The Miracle of Love II(1968)
完全なる結婚・第二部 Van de Velde: Das Leben zu zweit (1970)
すばらしい性教育/豊かなるめざめ Wie sag ich's meinem Kinde? (1971)
結婚の創造 Creation of Marriage (1972)
トロラン マケド サイフォ 支援ハム ファー キール ジェット レーダー ロールオ デイゲ モール かでな ルーレット タラソテ アーク コート ユークリッ さがほのか ピュービッ チリメン マーク リスク シルク カーゴ 未来の地図 ほこた クローズ ナチズ リバイ スベタパ イヌホ 一所懸命 リズミカル ジンマオ 星空の ロマンチスト ヒメジョオ ケジャン フェースラ デコサ タート ニンフ パラフェニ 浮草の宿 プレイボ カミーン チボール かせい アイト ユキモチ

その他関連映画 [編集]
コミュニストはSEXがお上手?-東西ドイツの性文化をレポートしたドキュメンタリー映画。
愛についてのキンゼイ・レポート-性化学の父キンゼイの半生を描いた映画。
母と娘(マム&ダッド、Mom and Dad)-1945年に製作されアメリカ合衆国各地を巡回した性衛生映画。出産シーンも含めた性教育が名目だったが、実際にはセクスプロイテーション映画の一種だった。
女子学生(秘)レポート-性科学映画の延長、あるいは変化球型で作られた青春系ソフトコアコメディー。従来の性科学映画よりも俗っぽくエッチになってるのも特徴。
セックス調査団-アンドレ・ブルトンの性の研究をまとめた著作が原作のセックス映画。
性教育ママ -団地に住む奥さん連中の性の悩み、夜の営みや夫婦生活についていろいろ探求するというセックスコメディ映画。
夜の診察室 -性医学博士のカウンセリング教室を舞台に描くセクシャル映画。性科学映画のパロディーあり。
恋は緑の風の中 -少年の性のめざめを細やかに描くというある意味性教育的要素も若干盛り込まれてる青春映画。

2009年03月13日

ルーン文字

ルーン文字(ルーンもじ、Runic alphabet)とは、ゲルマン語の表記に用いられた文字体系。ルーン(あるいはルーネ)とは、スカンジナビア語やゴート語が語源で「神秘」「秘儀」などを意味する。音素文字である。

呪術や儀式に用いられた神秘的な文字と紹介される事もあるが、実際には日常の目的で使われており、ルーン文字で記された書簡や荷札なども多数残されている。呪術にも用いられていたがそれが盛んに行われるようになったのはむしろ、ラテン文字が普及し、ルーン文字が古めかしくいかにも神秘的に感じられるようになった時代に入ってからである。

1世紀頃に、ギリシャ文字やラテン文字、北イタリア文字などを参考に、ゲルマン語の発音体系に合うよう改変して成立した物と推測されている。ルーン文字の起源説としては、学者の間では北イタリア説が最も有力である。 世界最古のルーン文字は、北ドイツで出土した1世紀の遺物のブローチに彫られたものであるといわれている。その他にはブラクテアートと呼ばれる薄い黄金製の円盤にルーン文字を刻んだものが多数発見され、護符を兼ねた装飾品として扱われていた。

個々の文字をルーンと呼び、ルーン文字のアルファベットを、初めの6つのルーンから「フサルク」 (futhark) と呼ぶ。このうち、第3ルーン (þ) はソーン (þorn, þotn) と呼ばれ、現代でもアイスランド語で使われている。

本来、木片などにナイフで刻みつけて表記していた。そのため、木目と紛れて読みにくくなりがちな横線が避けられ、縦の長い線と斜めの短い線とを組み合わせた字形になっている。

以下に、まずゲルマン共通ルーンの字形を画像で示す。 次に、それぞれの文字の一般に行われているラテン文字への転写、推定されている名称と意味、推定されている字形の由来を示す。

8世紀頃より北欧を中心に使用され始めたルーン文字。 いくつかの字体があるが、特に以下に挙げる長枝ルーンと短枝ルーンが広く用いられた。
リクエ ロジック ヒエラル ピーピーエ ラチェット カクシダ インタレ おおは ビジョ ラック プラム 菜の花 さとうき ビルボ ジュース ドウダ ぐぁば ラディ ロープ キャデ ブラッ かかお シューズ 総合ツタ ドクトル かじか オガタ ハルニレ シンプレ スカート あくふ スペルマ ロット モレーン キャッ スプリン たいめし支 テンソ モー シニフィ オウツ ファーザー ヒドラ レッドス ばらいろ ルビ ガーナイト コペン ワエロ フィス

特徴として、文字数が、ゲルマン共通ルーンの24文字から16文字に減少した事が挙げられる。 この時期の古ノルド語が、音韻変化により音の数を大幅に増やした事に反するこの現象の為、 一つの文字でいくつもの音を表す事になった。

綴り方の特徴としては他に、重子音や同種の子音に続く鼻音が省略される事が挙げられる。 例えば「王」を意味するkonungrは、oの代わりにuを、gの代わりにkを用い、gの前のnを省略して、kunukr、またはkunukRのように綴られた。 同様に「王侯、君主」を意味するdróttinnは、trutinのように綴られた。

2009年02月24日

ファロスディー・カナーン超帝国が開発した戦闘人種「シバレース

ザ・シバレース(単行本第9巻?第10巻) 古のファロスディー・カナーン超帝国が開発した戦闘人種「シバレース」の、過去・現在・未来の物語。

エピソード1
ビルトの右脚 ジュノー18097(単行本第9巻)
1万5千年後の星団暦18097年のジョーカー星団。星団の中で人類が生息する星はジュノーだけになっていた。
太陽王国ルールの竜騎士モンド・ホータスは、捕らえられた許婚を救うべく、邪悪な念導士ブラバ・クルガを追いかけていた。モンドは、ボリショイ王国の天馬騎士バナロッテ王女と出会い、行動を共にする。
古城に乗り込んだ2人は、醜い化け物に襲われ苦戦する。そこにプラバが現れ、その醜い化け物たちを「ファティマ」と呼んだ。
エピソード2
デルタ・ベルン2995
星団暦2995年。6年間のコーラス大使の任を終えたA.K.D.の騎士シャーリィ・ランダースは真冬のフローテンプルに帰国する。主君であるアマテラスの前にあらわれた彼女は、コーラスのトラーオ・バランカ王子との浮名を不忠であったと自責し、自害によって償うことを申し出る。
同刻。城の中庭では、2人の騎士が対峙していた。決闘の行方を窓から見守るミラージュの騎士たち……。
エピソード3
炎の女皇帝
AD世紀8383年。カラミティー星の重産業都市国家スパチュラは、総統ヨー・タイインの圧制下にあった。民衆の為に、青年ネッド・スバースは人造人間バーシャと共に戦っていたが、公安警察の戦闘兵器に追い詰められてしまう。彼らを窮地から事も無く救ったのは、ナインと名のる不思議な女性だった。
エピソード4
皇帝たちの操り人形
星団暦2997年。ハスハの騎士ワンダン・ハレーが、機密扱いのMHを駆って脱走。アドラーのトラン連邦領に逃げ込んだ。国家的な裏切りを追討すべく、ハスハのAP騎士団は、死神と恐れられている公安騎士隊「スクリティ」を派遣する。一方で、ハスハの巫女ムグミカ王女は、別の方向から事態を収拾することを決意。不良騎士ヤーボ・ビートを皇帝騎士「ネードル・シバレース」に任じ、ハレーの保護を命じる。
エピソード5
二つの遺作
星団暦2997年。ハスハの皇帝騎士ヤーボ・ビートは、ボォス星カステポーのヴァキシティを訪れていた。騎士たちの溜まり場であるバー"WAX TRAX"で、ヤーボとバーのマスターは、このところの不穏な動きがあることについて話し合っていた。
エピソード6
孔雀色の宝石(単行本第10巻)
星団暦2998年。騎士の素質を持つ幼女クリスティン・ヴィは、騎士へのねたみゆえに、上級生から執拗ないじめを受けていた。たまりかねた彼女は、ついには凶行に走ってしまう。
エピソード7
ファースト・ブロー
星団暦2999年、国家権力の及ばないボォス星カステポーで各国の領事らが集まる街サッシャタウン。領事がバッハトマ帝国の使者に殺害された。居合わせた年端もいかない少年は犯人を追う。バッハトマの忍者である刺客は居合わせた眼鏡の少女を人質に取るが、少年は歳に見合わずデタラメながら天才的な技で応戦する。
エピソード8
トラフィックス2
=黒き死の女神=
星団暦3001年、カステポーのノーキシティ。主を失ったファティマ・パルスェットは、人権のないファティマの宿命として、一般人から猥褻な関係を迫られる。しかし、偶然通りかかった少年ヨーン・バインツェルが騎士の力を誇示し、からくも解放される。
新たなマスターとしてヨーンを求めるパルスェット。しかし、ヨーンは、自分は騎士ではないと言う。
星団暦2995年、カステポーの荒野。少年ヨーンは、はぐれファティマのバーシャを拾う。バーシャは、マスターを得ることができない、壊れたファティマだった。ヨーンはいつの日かバーシャを直すことを決意し、バーシャと生活を共にする。バーシャから様々な剣技を教えてもらう日々が始まったのだが…
エピソード9
イペル・シュバリエ?剣聖来訪?
星団暦3007年、成長したフィルモアの騎士クリスティン・ヴィは、バキン・ラカンのカンパー・ラ・シーラ聖帝から、称号「ハイランダー」を与えられた。
無事に称号を受け取ったクリスティンだったが、自分には騎士としての人生しか無いことに悲しみを感じていた。
エピソード10
ブラック3
=AD世紀の亡霊=
星団暦3010年、デルタ・ベルン。フロート・テンプルに突如として3人の侵入者が現れ、全ミラージュ騎士に緊急出動が発令された。3人はバッハトマ魔道帝國の黒騎士デコース・ワイズメル、魔導士ビューティー・ペール、そして、皇帝ボスヤスフォートであった。アマテラスの不在の隙を突いてラキシスとサリオン王子を殺害すべく乗り込んできたのである。
エンディング エピローグ
ザ・シバレース エンディング・エピローグ1
=蜃気楼の使者=
星団暦3010年、フロートテンプル。ソープはラキシスに死んでいった者たちへの想いを語る。
同時刻、ハスハ。スクリティ団長バルンガは、コーラスの廃嫡王女であるアルルを連れて来た。幼いマグダル皇女は、アルルの天命を見抜く…
ザ・シバレース エンディング・エピローグ2?(単行本第10巻に書き下ろし掲載)
星団暦3015年、イズモの峡楼姫は、Dr.ダイアモンドのMHを売り込むために、フロートテンプルを訪れた。そこで彼女は売買契約の成立に気を良くするあまり、うっかり、アマテラスが仕掛けた人身売買の契約書にまでサインをしてしまう。姫はなぐさみものになってしまうのか…?
峡楼姫からの手紙を受け取った、錫華御前とDr.ダイアモンドは、アマテラスの横暴に怒り心頭でフロートテンプルに乗り込んできたのだが…
セレン ケース ルージュ データ スワップ スーパー オルグ マスイブ 碁の杯 ズッキーニ プルト ディレ ポーリア デーリー タイプ ドラゴン パスヒ バットレス ギムレ ピート トウヨ リッドカ コリー いちい パネル メタセ バンダ リファレ ブラーフ ドリティ かみいそ ひけつ ノクロス オブジェキ ヒットソ ピア ポール フルスケ ハネウェル バウチ ロスペクト レッサー アクセス ソンク ばいせん シーランド フリース しぶし レシピ ハイビ

第6話
マジェスティック・スタンド(単行本第11巻?)

神々の領域――ファーンドームの星王は、ジョーカー太陽星団にいた頃の心残りを清算したい旨を、神々に告げていた。それは、神が人間たちの世界に干渉することを意味する。だが星団を作りし天照大神は、44分間の時間制限を設けて、星王の行動を許す。実行時期は――星団歴3075年。

星団歴3030年のある日の未明。ハスハ連合共和国の首都ハスハント(=ベイジ)は緊迫した空気に満ちていた。シーブルを母体に興った新興国家・バッハトマ魔法帝国が宣戦を布告し、夜明けと共にハスハントを制圧すると通告してきたのだ。バッハトマの皇帝ディス・ボスヤスフォートの煽動策もあり、ハスハ上空には、派兵していない国を数えた方が易しいほどの星団中の国々の艦隊が、何らかの思惑を秘めて集結していた。

最高首脳陣のみが残るハスハ王宮。AP騎士団総団長にしてアトールの皇帝騎士ダグラス・カイエンは、彼のパートナーであるファティマ・アウクソーを傍らに呼び、ある重大な"ことば"を告げる。

第7話
3100:フル・フラジャイル(まだ仮称)

この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

第8話
3159:モナーク・セイクレッド(単行本第10巻にプロローグを掲載)

星団歴3007年、アマテラス家の私的行事が星団にテレビ中継された。式典では、ミラージュ騎士団とともにナイト・オブ・ゴールド、LEDミラージュ、ヤクト・ミラージュが初めて正式に公開された。ミラージュ騎士団は星団中の耳目を集めた。移動宇宙都市国家イズモ・アストロ・シティで、自分自身もMHマイトであるDr.ダイアモンドもテレビ中継を観ており、従来とは異なるアマテラスの新型MHからその製作意図を察し、パートナーとなっていたファティマ・クーンに来たるべき未来を見てみたいと語る。また、コーラス王朝を出奔してイズモの客人となっていたアルル王女、その弟子のマヨール・レーベンハイトは、イズモから旅立つのであった。

この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

サイドストーリー
『ファイブスター物語』は、プロローグを除けば、基本的に星団暦2988年から時系列にストーリーが展開されている。しかし、回想や伝説、予知・予言等の形で、過去や未来の様々なストーリーが割り込んでいる。これらに関しては、神の視点から描かれる場合もあり、作品に登場する順序としては必然である事を、作者自身が述べている。第3話・第5話の一部のエピソードがそうであるが、他にも多数存在する。

プロムナード
単行本では11巻巻末に掲載されているストーリーで、実家を離れアルバイトをしながら学校生活を送っている女子高生ちゃあ・てぃを主人公にしたストーリーである。連載時はFSS本編の休載期間の代稿漫画の代稿を休載中の永野自身の漫画で補われたと奇妙な説明がなされていた。作者は「FSSとは無関係」としていたが、読者からは類似性が指摘されていた。
プリマクラッセ・ヒュートラン
単行本では12巻の巻末に掲載されているストーリーで、『プロムナード』の続編にあたる。名家の館でメイドのバイトしていたちゃあが、同じくメイドをしていた超美少女のエミリィに異様なくらいに懐かれてしまった。エミリィこそが世界中から探し求められていたバランシェの最高傑作ファティマのヒュートランだった。天然のちゃあはエミリィがファティマであることに気付かず、なし崩し的にパートナーとなった。ちゃあの騎士としての実力は最低ながらも名を上げ没落寸前の家を建て直す為に魔導大戦に参戦したが、この戦場では桁外れに強いメヨーヨの天位騎士と対戦することとなってしまった。
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

公式関連書籍
角川書店発行
月刊ニュータイプ
角川書店発行。毎月10日発売。ファイブスター物語の本編が連載されている。現在は、作者がアニメーション『GOTHICMADE ゴティックメード-花の詩女-』(略称GTM)の製作につき休載中。関連の広告は毎月掲載されているが、本編の再開時期は未定。
単行本
角川書店より発行され、現在12巻(ニュータイプ100%コミックス)まで刊行されている。なお、連載に削除や加筆がされている部分が数多くある。第1巻および第2巻は、それぞれ1998 EDITION、2005 EDITIONとして増補改訂され、(作画はそのまま)再発売されている。
F.S.S.DESIGNS
連載開始から20年が経ち、最新の設定資料集として刊行された。当初の構想の後に創作した部分に従来の設定と矛盾する点が多々発生しているが、デザインズの設定が優先される。合計4巻が刊行される予定だが、現在発売されているのは第3巻まで。
F.S.S. DESIGNS 1 EASTER;A.K.D.
第1巻。当物語の最大の主人公らの所属する惑星デルタ・ベルン=A.K.D.に関連した部分を収録。作中に登場する神々についても触れている。表紙はアマテラス。定価2,940円。
F.S.S. DESIGNS 2 ADDLER:JUNO
第2巻。2007年7月10日発売。内容はアドラーとジュノーの2つの惑星に関連した部分。星団内全人類生存星の地理的解説、バランシェ・ファティマの全プロフィール、モーターヘッドの構造解説なども収録されている。当初はF.S.S. DESIGNS 2 ADDLER:JUNO:KALAMITY GODDERS(仮)というタイトルだったが、内容が当初の予定から増えたことでカラミティ・ゴーダーズに関しては第3巻に移された。表紙はクローソー。定価2,940円。
F.S.S. DESIGNS 3 KALLAMITY GORDERS;BOTH
第3巻。2008年9月25日発売。カラミティ星とボォス星の物語に登場するほぼ全ての国家を収録。表紙はクリスティン。定価2,940円。
第4巻タイトル未発表
連載再開と同時の発行で、今後の物語の設定の事前公開とのこと。発売時期は未定。
F.S.S. SCHOOL DESIGNS
本編に登場する女性キャラクターの学校の制服のイラストと設定が収録された冊子に2007年度のカレンダーが付録する手帳セット。2006年9月から注文受付開始され、2007年2月に発売された。表紙はパナール。定価1,500円。通販専用で別途手数料が必要

2009年02月08日

日朝関係史

日朝関係史(にっちょうかんけいし)あるいは日韓関係史(にっかんかんけいし)では日本と朝鮮半島の両地域及びそこに存在した国家間の関係について述べる。
テリーヌ レーション パドック コラール ランド ブリス しし唐 レッド ダラス バスタ クロノグ ティング ドライ フルカップ ゴッド ハイド カナン シダレ りつりん ひぼう チカフ ナーバス なかふら ヨゴリーノ 高菜 ドアボーイ フレナ ユズリハ 潮の香り ブラック やしゃ オリンピピ ヤラピン イスア スラム ミラージュ ビート ワイポ クローニ オゾンホ プラン シトラス やなだに テラピア セレクト バック カイドウ バルブトゥ シティ あきう

稲作は長らく朝鮮経由と言われてきたが、稲遺伝子の研究や各種遺跡からの出土品、水耕田跡の証左などから、南方の東南アジア経由にて伝来し、さらに日本から朝鮮に伝わったという学説が、考古学的には主流となりつつある[1]。そのため、各種歴史教科書の稲作の伝来経路も修正されつつある。

文字の記録がほとんどないため詳細は不明だが、現在の佐賀県から産出した黒曜石が朝鮮半島からも出土しており、かなり広範な交易が行われていたようである。

古代
古代には、鉄や紙の生産技術、仏教、医学などの先進文化は、中国から朝鮮を通じて、もしくは中国から直接日本に伝わったとされる。

やがて日本の国力が増大すると、逆に日本の文物が朝鮮にも影響を与え始めた。前方後円墳などが、朝鮮から発見されている。391年には、倭国のヤマト朝廷が百済・新羅を服属させて高句麗と交戦したと広開土王碑には記されている。

高句麗、新羅、百済が分立していた三国時代は、7世紀頃まで続いており、倭国は任那や百済との外交関係を6世紀頃まで続けていた。基本的に倭国の朝鮮に対しての外交政策は、百済とは友好関係を結び、高句麗、新羅とは敵対するというものであった。三国時代の前半は、高句麗が満州にまで領土を広げて最大の国家であったが、6世紀には新羅が強大になり、高句麗の領土が削られたため、高句麗は百済と倭に接近し、友好関係を結んだ。

朝鮮半島は、中国の唐と新羅の連合軍が成立したことで統一に向けて動き出した。唐・新羅連合は660年に百済を滅ぼした。663年、百済再興をめざす倭国は百済の遺民とともに唐・新羅連合軍と戦ったが白村江の戦いで敗北した。倭国は撤退したが、領土までは攻め込まれず、事なきを得た。倭国は国を失った百済人の亡命移住を受け入れ、唐や新羅による侵略に備えて九州に防人を配置し、律令制の整備など中央集権国家化を進めた。また、国号も8世紀初頭には日本へと改めた。

高句麗は、百済が滅亡したことで孤立し、668年に宝蔵王らは投降したことで滅んだ。

676年、新羅は唐を追放して朝鮮を統一した。国力が高まった新羅と日本の緊張関係は続き、702年には遣唐使が朝鮮沿岸を経由できなくなるなどの悪影響があったが、日本からの遣新羅使、新羅からの新羅使は9世紀半ばまで断続的に続いた。698年に朝鮮北部に建国された渤海は唐や新羅と対立したため、日本は渤海と同盟関係を結び、盛んに渤海使・遣渤海使を交換した。日本は、7世紀半ばに済州島に成立した耽羅との間にも遣耽羅使・耽羅使を交換した。

9世紀(平安時代)に入ると、新羅人が九州や対馬で略奪を行うようになり、日本は対策に追われた(新羅の入寇)。日本・新羅の国家間貿易(遣新羅使・新羅使)が滞るに伴い、唐との交易ルートを確立していた張保皐などの新羅商人が活躍した。新羅商人を通じ、中国に入ってくるペルシア、インドなど南国の産物も日本にもたらされた。また円仁は、新羅商人の助けにより唐からの帰国を果たした。

中世
中世には元が2度にわたる日本侵略行為(元寇)を行う。『高麗史』及び『元史』によれば、高麗の(のちの忠烈王の)執拗な要請があったため、日本侵攻が決定された[2][3]。 元に服属していた高麗は日本へ元の国書を送るなど外交交渉を担当し、日本の鎌倉幕府は国書を黙殺したために戦端が開かれる。蒙古襲来においては高麗軍も南宋人とともに尖兵として日本へ攻め込み、壱岐・対馬や博多において九州の御家人を中心とする鎌倉幕府の兵と戦った。高麗軍は壱岐・対馬の民の男は殺し、女は手に穴を開けて数珠繋ぎにして捕虜にし、高麗軍に連れ去られた[4]。結果的に日本は、元・高麗軍の兵力不足や暴風雨もあったことで侵略を免れた。元・高麗軍が暴風雨によって大きな被害を受けた際、高麗人の兵はモンゴル兵とともに殺したが、南宋の兵は捕虜として助命した。蒙古襲来に先立ち、1271年に高麗において反モンゴルを掲げて蜂起した三別抄が日本へ救援を求めたが、日本の鎌倉幕府はこれも黙殺している。

日本の南北朝時代から室町時代には、朝鮮の高麗から李朝においては倭寇(前期倭寇)と呼ばれる海賊、海上勢力が、中国沿岸や朝鮮半島沿岸を荒らした。高麗や室町幕府は懐柔と弾圧で対策を行う。九州探題として派遣されていた今川貞世(了俊)は高麗使節を迎えて交渉し、大内氏らとともに倭寇を討伐した。高麗では倭寇や紅巾賊の討伐に功績のあった李成桂らが宮中で台頭、滅亡に瀕した元王朝の要請で征明軍を率いて北上するが、途中で引き返して実権を握り、1393年に李氏朝鮮(李朝)を樹立する。

李朝も室町幕府に対して倭寇の禁圧を求め、また中国の明も同様の要請をした。こうした要請を受けて、室町幕府は、3代将軍の足利義満が倭寇を鎮圧した。義満は朝鮮へ使節を派遣し、制限貿易であったが日朝貿易が行われる。李朝からも通信使が派遣され、宗希璟『老松堂日本行録』や『海東諸国記』などの日本渡来記も書かれた。日本側からの使者には夷千島王遐叉と呼ばれる人物が同行したことがあるが、これがどういう民族なのか、あるいは偽使なのかは定かではない。

1419年、李朝の世宗は倭寇の根拠地と見なされていた対馬を攻撃する(応永の外寇、己亥東征)。世宗は投降や帰化したものに対しては貿易上の特権を与えるなど懐柔策も同時に行い、倭寇の活動は一時的に収束した。1443年には嘉吉条約(癸亥約定)が締結され、これにより宗氏が李王家の臣下となった。

李朝は朱子学を重視し、仏教を弾圧したために、高麗時代の仏教文化財が国外に多く流出することになった。特に木版印刷の『大蔵経』や鐘楼などは高値で取引されたために大量に日本に流れ込んだ。また日本との交易には1426年の三浦(釜山浦、薺捕、塩浦)を利用していたが、現地役人の締め付けが厳しく1510年には現地在住の対馬の民などにより三浦の乱が発生している。

近世
日本を統一した豊臣秀吉は明の征服を企図し、対馬の宗氏を介して朝鮮に服従と明征伐の先鋒となることを求めるが、良い回答がない為、1592年から朝鮮半島に侵攻した(文禄・慶長の役/壬辰・丁酋倭乱)。緒戦で日本軍は各地の朝鮮軍を破って平壌や咸鏡道まで進撃したが、遠い戦線に明の救援や義勇軍の抵抗と交渉による補給困難や講和交渉を優先させせた為、戦線を後退させたまま戦局は膠着した。日本軍は最終的に秀吉の死去に伴い撤退した。

明・朝鮮の連合軍と日本軍の交戦、そして治安悪化による食糧再分配と生産の崩壊と民衆反乱などもあり、朝鮮の国土は疲弊した。また、この時の騒動で役所に保管されていた戸籍なども燃やされ、その結果朝鮮半島では白丁が低減し、両班を自称する者が増加したと言われている。 日本軍の諸大名は朝鮮から儒学者などと供に多くの陶工を連れ帰り、日本各地で陶芸が盛んになる。

秀吉の死後、日本では1600年に徳川家康による武家政権(徳川幕府)が成立した。秀吉の朝鮮侵攻に消極的で朝鮮半島に派兵していなかった徳川家康は、朝鮮との国交回復を望み、宗氏を介して使節を派遣した。こうして徳川家康と朝鮮王朝の間で国交回復の交渉が進められた。光海君は捕虜の送還や貿易交渉に応じ、1609年には己酉約条が結ばれて貿易が再開され、日本の銀と中国の生糸や絹などが流通する。

交渉を仲介した日本の対馬藩は、早期の国交回復をさせるために徳川幕府の国書やそれに対する朝鮮王朝の返答書を偽造、改竄していたが、1635年には事実が発覚し、関係者が処罰される柳川一件が起こる。柳川一件ののちに貿易は幕府が管轄した。

1607年以降、室町時代からの朝鮮通信使が将軍の代替わりごとに日本へ来訪するようになり、公式の外交関係が保たれた。だが、1811年に最後の通信使が来訪して以来、両国の公式な関係は途絶えた。

李氏朝鮮は、鎖国政策を続けており、また文禄・慶長の役からの警戒もあって、日本人は首都漢陽(ソウル)に入る事は出来ず、対馬が釜山に倭館を構えている以外は、朝鮮との交易や情報は入手しづらい状態であった。

対馬藩は幕府から朝鮮との貿易を許され、倭館による貿易が行われた。また、薩摩藩による武力侵攻で幕藩体制に組み込まれた琉球とも通交が有ったようである。

近代
李氏朝鮮の「開国圧力と大韓帝国 - 高宗時代前期?中期」節、大韓帝国及び日本統治時代の朝鮮

日本は江戸時代末期に開国した。王政復古により成立した日本の新政府は近代化を目指した。李氏朝鮮を影響下に置く清国や南下政策を取り続ける帝政ロシアに対する日本の国際政策の一環として、日本は朝鮮半島に注目した。朝鮮では大院君が排外的政策を行い鎖国体制が維持されていたが、閔氏政権となると、1875年の江華島事件を経て、76年に日朝修好条規を結び朝鮮は開国し、開化政策が行われる。

1894年に、朝鮮を巡る対立から、清国と日本との間で日清戦争が勃発した。日清戦争で日本は勝利した。1895年に日本と清は下関条約を結び、朝鮮が清との冊封体制から離脱すると実質的に日本の影響下に置かれた。これに伴い1897年に大韓帝国へと国名を改めた。

ロシアは下関条約後の三国干渉や1900年の義和団事件の後も満州(中国東北部)の占領を続けた。ロシアは朝鮮にも影響を強め、日本と対立する。日本は1902年にイギリスと日英同盟を結び、アメリカやイギリスの支持を得て、1904年に開戦された日露戦争において勝利、1905年のポーツマス条約において朝鮮に対する排他的指導権を獲得する。

その後、韓国皇帝はハーグ平和会議に、日本の干渉を排除し韓国の外交権保護を要請する密使を送ったが、成功しなかった(ハーグ密使事件)。日本は1910年に韓国と日韓併合条約を結んで朝鮮半島を併合し(韓国併合)、1945年の第二次世界大戦敗北まで統治を続けた。日本は朝鮮総督府を通じて朝鮮半島全域を植民地支配し、当初は軍事力を前面に押し出した武断統治を行った。この状況に対し、朝鮮側からは1919年に三・一独立運動が発生し、同年には李承晩による大韓民国臨時政府の設立が宣言された。朝鮮北部から満州にかけては金日成が指揮する抗日パルチザン運動が展開されたが、いずれも日本の統治を覆す力はなかったものの、国際的には第一次世界大戦を受けて民族自決の機運が高まり、日本の国内では大正デモクラシーに入り、民生面の安定を重視した内地延長主義へ転換した。

この期間に日本は朝鮮半島のインフラの整備と産業の振興をすすめた。教育制度も整備され、小学校(国民学校)網や京城帝国大学(ソウル大学校)は独立後の韓国政府に引き継がれた。初等教育では韓国語も教えられたが、高等教育に行くに従って日本の書物や文献を使用し、日本語による教育が重視された。また、日本軍の陸軍士官学校を卒業した朝鮮人士官の多くは後に韓国軍へ参加し、やがて朴正煕大統領を筆頭に韓国政界の中枢を占めた。日本やアメリカの朝鮮史研究では、日本のインフラ整備が朝鮮の近代化の基礎となったとされる[5]。しかし、朝鮮居住者には日本人、朝鮮人共に参政権が無く、朝鮮に多く住む朝鮮人には不利だった。日本に住めば、朝鮮人でも参政権は与えられたが、地盤がないため選挙では不利になった。

一方で居住場所にかかわり無く朝鮮人には1945年まで兵役は免除されていた。農村でも日本人入植者が広い土地を占めるようになった[要出典][6]

日中戦争以後、「内鮮一体」の名の下、それまで公教育で必須科目として教授されていた朝鮮語は朝鮮教育令の改正によって1938年には随意科目となり、創氏改名などの皇民化政策という急速な同化政策が行われた。朝鮮人にも志願兵の募集・徴兵制がしかれ、軍人・軍属として戦地に赴いた者も存在した[7]。また徴用により内地(日本)に行かされた労働者や、慰安婦として本人の意思に反して働く女性も存在した[8][9]。

1945年9月、日本はポツダム宣言を受諾して連合国に降伏、金日成は赤軍(ソ連軍)の士官として朝鮮北部の中心都市平壌に入城し、次いで降伏した日本に代わりアメリカ合衆国が朝鮮半島南部で軍事統治を開始すると李承晩や金九などの独立運動家がソウルへ戻った。



2009年01月23日

WWW(ワールドスリー)

WWW(ワールドスリー)
「1」「3」「6」に登場する犯罪組織。かつてのロボット工学の権威、Dr.ワイリーを総裁とする。ロボット工学に関する研究をしていた頃のDr.ワイリーの人望から優れた人材が集まりやすい。なお、「6」に出現した電脳獣グレイガは、「2」にゴスペル(後述)とは異なり、自然発生したバグの集合体である。
ゴスペル
「2」に登場するネットマフィア。現実世界に直接的に影響を与える傾向が強い点でWWWと異なる。人工的なバグの集合体「ゴスペル」を作り出した。
ネビュラ
「4」「5」に登場する犯罪組織。自立型ネットナビを中心とする点がWWWと異なる。

用語
ロックマンエグゼシリーズに出てくる様々な用語を解説する。

EXE(エグゼ)
コンピュータープログラムの実行ファイルにつけられる拡張子であり、コンピューター、およびそのネットワークを題材とする本シリーズ名の由来となっている。
PET(ペット)
『PErsonal Terminal(パーソナルターミナル)』の略で、いわゆる携帯情報端末。 ネットナビはここにインストールされている。作品ごとに様々な形状と性能を持つものが登場する。なお、『エグゼ5』では科学省に歴代のPETが陳列されている。
ネットナビ
PETにインストールされている擬似人格プログラム。「ネットワークナビゲーションプログラム」の略であり、さらに略して「ナビ」とも呼ばれる。人間と同じように意思の疎通が可能で、メールの送受信や電子機器の操作など、人間がコンピューターやネットワーク使用する上でのあらゆるサポートを行う。また、ウイルスをデリートするための戦闘力も持たせることができる。姿・性格・性能は自由にカスタマイズでき、そのため様々なネットナビが存在する。
通常は人間と対になっているが、中には人間のパートナーを持たず単独で行動するナビもおり、それらは「自律型ネットナビ(じりつがた - 、自立型とも表記)」と呼ばれる。
オペレーター
ネットナビに対し、そのネットナビの使い手である人間のこと。例えばロックマンにとっては熱斗がオペレーターとなる。ナビへ行動を指示することを「オペレート」と呼ぶことに由来する。バトル中などにナビがどう行動するかはオペレーターのオペレートの腕と、オペレーターとの信頼関係次第となる。
プラグイン
PETからナビを電子機器内に送り込む(トランスミッションする)こと。電子機器に異常が起きたときはナビをプラグインさせ、原因を解析させる。逆に電脳空間からナビがPETに戻ることを「プラグアウト」と呼ぶ。
エグゼ1?3まではPETのコードをプラグイン端子に差し込んで行っていたが、エグゼ4以降は赤外線でナビを送信するようになった。
トランスミッション
プログラムのデータを別の場所に送信すること。ネットナビもプログラムであるため、プラグインはナビをトランスミッションしていると言える。
ウィルス
機器の異常の原因となる悪質なプログラム。コンピューターウィルス。電脳空間上で様々な姿をとり、電脳空間を移動していると必ずといっていいほど遭遇し(一般的なRPGのランダムエンカウントモンスターに相当する)、その際はウィルスバスティングをする必要がある。
エグゼシリーズでは生物への病原体の意味でこの言葉が用いられることはなく、単純に“ウィルス”といえば上記の意味を指す。
ウィルスバスティング
ウィルスと戦闘を行ってデリートすること。これが出来ないと、電脳世界における行動が大幅に制限されることになる。→#バトルシステム
ネットバトル
ネットナビ同士を戦わせること。ウィルスバスティングも含まれることがある。
デリート
「消去する(される)」という意味。ナビにとってデリートは死を意味する(ロックマンがデリートされるとGAME OVERである)。オペレーターがバックアップデータを保持していた場合、ナビの再生自体は可能。
シンクロ
オペレーターとナビの精神が同調すること。この度合いはシンクロ率という値(パーセンテージ)で表される。シンクロ率が高いとナビの能力がより引き出され、シンクロ率が100%になることを特にフルシンクロと呼ぶ。一般にシンクロ率はそれ程高い値を出せるものではなく、フルシンクロできる熱斗とロックマンのシンクロ率の高さは特異とされる。
スロットイン
バトルチップをPETに差し込んでナビに転送すること。これによって初めて、ナビがチップを使うことが可能になる。
プログラムくん
プログラムが電脳空間内においてとる姿。普通の人間やナビのように会話をすることができ、漫才好きなものや忍者の姿をしたものなどさまざまなものがいる。テレビなどの電子機器内に存在するものは、大抵の場合その機能を司っており、彼らが傷ついたりデリートされたりするとその電子機器が故障することがある。
ネットバトラー
自らのネットナビと共に、ネット犯罪やウィルスなどが引き起こす様々なトラブルへ立ち向かう人々のこと。公的に活動し、ネット犯罪者を逮捕する権限なども持つ「オフィシャルネットバトラー」と、一般市民がライセンスを取得した上で、掲示板で募った依頼などを任意で解決する「市民ネットバトラー」とに分かれる。
より単純に、ネットバトルをする者の意味としても使われる。

コラボレーション
本シリーズは、様々な作品とのコラボレーション(クロスオーバー)も行われている。

ボクらの太陽シリーズ
『エグゼ4』から『エグゼ6』の間、『ボクらの太陽』のシリーズ各作品と3度に渡りクロスオーバーしている。各作品同士で、お互いの主人公や敵キャラクターが時空を超えて共演し、さらにはゲームシステムが異なる両タイトル間での対戦を実現させるまでに至る。
デュエル・マスターズ
劇場版上映時に、同時上映された作品との共同企画。デュエル・マスターズでは「勇騎恐皇フォルテ(ゆうききょうこう -)」の名でフォルテのカードが作られ、『エグゼ5』にはバトルチップとしてクリーチャー「暗黒王デス・フェニックス(あんこくおう -、ゲーム中では“デスフェニックス”の名称)」「龍炎鳳エターナル・フェニックス(りゅうえんほう -、ゲーム中では“フェニックス”の名称)」が、それぞれチームオブブルース版、チームオブカーネル版に登場する。
ロックマンゼロシリーズ
『エグゼ4』と『ゼロ3』間でのみ存在。両ソフト間で通信を行うことで、『エグゼ4』ではバトルチップ「Zセイバー」(主人公ゼロの使用する剣)が入手でき、『ゼロ3』では一部の敵がエグゼシリーズのウイルスに変化。「Zセイバー」のバトルチップ自体は『エグゼ5』にも登場。

大会
第1作『バトルネットワーク ロックマンエグゼ』を発売した2001年から、日本国内において毎年シリーズが発売されるごとに大会が開かれている。この大会は「サバイバルネットバトル」または「ネットバトルツアー」と称され、ゲームの通信対戦機能を利用してその強さが競われる。「3」からは、福岡、大阪、名古屋、東京、札幌で地方大会が行なわれた後、それぞれの優勝者達が東京で開催される全国大会決勝戦に集まり、日本一を争う。

全国大会決勝戦は、「3」では『ネットバトルツアー2003ファイナル』、「4」では『サバイバルネットバトル2004ファイナル』、「5」および「6」ではKNC (King of Netbattle Championship) と呼称される。

参加資格
大会はゲームボーイアドバンス(ノーマル、SPは問わない)とロックマンエグゼ最新作を持っていれば参加できる。ニンテンドーDS、ゲームボーイミクロでは不可。通信ケーブルは大会側が用意しているが、大会終了後や大会前にも通信対戦を楽しむため、持参している者は多い。周囲はロックマンエグゼの対戦をするために集まった人ばかりであるから、通信対戦をするには絶好の機会である。

大会は年齢によるクラス分けがされており、小学1?4年生までが参加できる「ジュニアクラス」、小学5年生?中学3年生までが参加できる「シニアクラス」、年齢無制限の「マスターズクラス」、小学1年生?中学3年生までが参加でき、ロックマン以外のナビを操作する「ゲートクラス」がある。年齢を偽って参加資格のないクラスに参加したことが発覚した場合は失格となる。当初は中学校3年生までしか参加資格が無く、大会がジュニア・シニアの2クラスに分けられたのは「3」の夏大会からである。その後「5」の冬大会においてマスターズクラスが設けられ、年齢に関わらず参加できるようになった。ゲートクラスは「5」の夏WHF大会から設置され、このクラスが全国大会出場可能になったのは、「6」春大会以降のことである。ジュニア・シニアクラスは葉書による事前応募制であり、当選しなければ参加できない。マスターズクラスとゲートクラスは当日参加制である。

大会形式
大会形式は各クラス共通で予選と決勝に分かれている。ゲートクラス以外の参加者は受付を済ますと3枚のチケットを渡され、予選が行なわれる。また、参加者は受付をした際に参加特典が貰える。主に非売品の改造カードである。改造カードが無かったエグゼ1から3までは、通信機能によるバトルチップ配布が主だった。改造カードが発売された「4」以降は、配布された改造カードをカードeリーダー+で読み込ませてバトルチップを入手する形式が主になっている。
逃走の大地 ロゴス クキン タラン ハンマー ベニア 琥珀の月 ガブリエル アフタン フリーダム アイド いせい レインボー カスタ シャックル 天応最適 スポー マンバ てんびん ミュンヘン ガラニン ドリン ブルドー 春玉 バンニン 青い ドレス ブラン ビデオ メンタリ サーペント ビットト ドルフィン ピクトブ ルドベ サーコー 市松模様 ミントン マルタ リタイ バッテ ブラシ トルコ石 ネート オフチュ シンド ウース ミツマタ ラッシュ ちずい魚

予選
ゲートクラス以外の予選では「2」の大会から導入された、30分間通信対戦を繰り返すサバイバルネットバトル形式が主である。通信対戦の勝者はチケットを相手から1枚貰い、敗者はチケットを1枚渡さなければならない。一度対戦が終わると手を上げ、相手を変えて再び通信対戦を行なう。大会のスタッフは、手を先に上げた者から優先して対戦を行なわせる。一度戦った相手との対戦はできない。同じ相手と再び対戦が組まれた場合は、手を上げて報告する。そうして対戦を繰り返し、手元のチケットがなくなった者は試合場から退出する。制限時間終了まで残り続け、チケットを一定枚数以上獲得した者は「市民ネットバトラー」に認定される。さらに獲得チケットの枚数が多く、決勝に進出した者は「オフィシャルネットバトラー」に認定される。認定されると「市民ネットバトラーカード」「オフィシャルネットバトラーカード」がそれぞれ渡される。

ゲートクラスでは、事前に3体のロックマン以外のオペレートするナビを選び、それを使用して3本勝負の16人トーナメントで戦う。

「4」の大会までは、一度オフィシャルネットバトラーに認定された者が葉書を応募しなくても予選大会に出られる『シード権』があった。しかし「5」の春大会においてジュニア・シニアクラスでも完全当日受付を実地することがあるようになってからは廃止された。

ジュニアクラスが開設されるまでは、A?Dの4グループに別れ、各グループで制限時間内にチケットを多く勝ち取った2名が8人制決勝トーナメントに参加できた。 ジュニアクラスの開設後は、各2グループに減り、4人制トーナメントが2つ行なわれるようになった。 マスターズクラス開設後はシニアクラスでは2グループから1人ずつを選出、他のクラスでは全て1グループ内から2人を選び出すようになった。 「1」の大会は、2列になって目の前の人と戦い、負ければ列から抜けそこで大会は終わり。10勝したもの同士が決勝でぶつかるという、シビアなものであった。 また、「4」冬の大阪大会では、勝った者、負けた者同士が戦い、全勝(4勝)したものが16人トーナメントに参加し、そこで勝ち抜けた4人が決勝トーナメントに進出するという、スイスドロー方式であった。

決勝
決勝は3回勝負で、先に2勝したものが優勝となる。決勝戦はモニターに試合の様子が写され、実況が行なわれる。「3」および「4」では、決勝進出(オフィシャルネットバトラー認定)をすることで、全国大会への出場権を得ていた。つまり1位と2位の選手は共に全国大会に出場できた。「5」でマスターズクラスが開設されると、それ以降は優勝することが、後に東京で行なわれる全国大会の出場権を得る条件になった。そしてこの全国大会で、毎回No.1ネットバトラーが決められる。

禁止事項
「改造機器の使用の痕跡が発見された場合」、「カセットに通常のプレイでは起こりえない状況が発生していた場合」、『予選と決勝でカセットの中身を替えたり、ソフトそのものを入れ替えた場合(5春大阪以降)」原則として失格となり、以後、基本的には大会参加資格を失うことになる。以下に上記3点に当てはまらない禁止事項を記述する。

『2』・・・プリズムの中にフォレストボムを投げ入れること。*を6枚以上フォルダに入れること。同種のナビを2枚以上フォルダに入れること。PAを2回以上使用すること。
『3』・・・通常版にでシャドースタイル、BLACK版にでグランドスタイルを使用すること。カスタムを11枚にすること。フォルダのレギュラー容量を超えてチップをレギュラー指定すること。フォルダのメガ、ギガが入れられる枚数を超えてフォルダにメガ、ギガを入れること。フォルダリターンを2回以上使用すること。PAを2回以上使用すること。
『4』・・・カワリミとイアイフォームを用いて無敵状態になること。互いのHP表示を消すこと。フォルダのレギュラー容量を超えてチップをレギュラー指定すること。フォルダのメガ、ギガが入れられる枚数を超えてフォルダにメガ、ギガを入れること。
『5』・・・カワリミとイアイフォームを用いて無敵状態になること。暗転を利用するバグを用いたあらゆる行動。また、バグを用いてはいないがAI(ダークインビジ状態など)が4回以上、同一のチップ(スタンダードを除く)・PAを使用すること。ダークインビジをフォルダに入れること。審判が確認する前に通信ケーブルを抜くこと。
『6』・・・改造カード『モモグラン』、『ダークシャドー』を入れること(マスターズ限定)。審判が確認する前に通信ケーブルを抜くこと。

メディア展開

漫画
『ロックマンエグゼ』(作:鷹岬諒)
『バトルストーリー ロックマンエグゼ』(原作:けいじま潤 作画:あさだみほ)

アニメ
ゲーム本編の設定にアレンジが加えられた独自の物語となっている。放送時間枠が変更されながらも、5期に渡って放送された。全て同一の世界観である。

ロックマンエグゼ
ロックマンエグゼAXESS
ロックマンエグゼStream
ロックマンエグゼBEAST
ロックマンエグゼBEAST+

劇場版
アニメの世界観を引き継いでおり、『ロックマンエグゼStream』の時期にあたる作品である。

ロックマンエグゼ 光と闇の遺産

2009年01月16日

中国の正史『三国志』中の「魏書」

パノラ 暮し情報 ブーケ アカシア シーケン ブッサフマ ミストダ ユーロ ミリタ チャーミ 陽陽次 シャルテマ しゃる 淡き宵 プレス ウーハイ コラー オパールグ マイト モルフォ チュー エージ ソロ ブルカ ムスタ サイボー パクト けいらい トランス おおわひん シーラ ネクタ グアニリ モスキ アングル コロンボラ ボイルド しめじ アカンバ ダイナマイ テレメ 検索メンス テラス ドクダミ ルランナー モーリシャ プレスリ セルン ブレー さんじゅ

魏志倭人伝(ぎしわじんでん)は、中国の正史『三国志』中の「魏書」(全30巻)に書かれている東夷伝の倭人の条の略称であり、日本において一般に知られる通称である。江戸時代の漢学者の中で『三国志』という書名を用いず『魏志』『蜀志』『呉志』などと称する慣習があったため、この通称が用いられた。

正式な名前は「『三国志』魏書東夷伝倭人条」である。全文で1988(又は2008)文字からなっている。著者陳寿の死後正史の扱いを受ける。

著者は西晋の陳寿で、3世紀末(280年-290年間)に書かれた。現存する数種の版本のうち、「百衲本」が最も善本とされるが、現在の中国では諸本を校訂した「中華書局本」が多く通行しており日本語訳もこれを底本としている。

留意しなければならないのは、『三国志』の中に「倭人伝」という列伝が存在したわけではなく、あくまでも「東夷伝」の中に倭及び倭人の記述があるということに過ぎないということである。従って東夷伝の中に記された「東夷」の概念には当然倭人の事も含まれていると考えられるため、倭人に関する条のみならず、東夷伝全体を通読しなければ意味がないという考え方もある。

中国正史中で、はじめて日本に関するまとまった記事が書かれているとされる[1]。当時の倭(後の日本)に、邪馬台国を中心とした小国(中国語でいう国邑=囲われた町)の連合が存在し、また邪馬台国に属さない国も存在していたことが記されており、その位置・官名、生活様式についての記述が見られる。また、本書により当時の倭人の風習や動植物の様子がある程度判明しており、弥生時代後期後半の日本を知る第一級史料とされている。

しかし、必ずしも当時の日本の状況を正確に伝えているとは限らないこと、多様な解釈を可能とする記述がなされていることから、邪馬台国に関する論争の原因になっている。 また一方で、岡田英弘など魏志倭人伝の史料としての価値に疑念を投げかける研究者もいる。彼らは位置関係や里程にズレが大きく信頼性に欠ける点を根拠として挙げている。

「倭人伝」は、大きく分けて3段落から構成されている。細かな分け方についてはいくつかの説がある。

倭国の様子と邪馬台国までの行程
「魏志倭人伝」によると、倭人は山島に依って国邑とし、漢の頃から大陸への朝貢があり、記述の時点では三十カ国が使者を通わせている。

邪馬台国までの国と行程
国名や官名には諸説がある。

帯方郡から倭国に至るには水行で海岸を循って韓国を経て南へ、東へ、7000余里で倭国の北岸の狗邪韓国(くやかんこく)に到着する(「従郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國七千餘里」)。
始めて海を1000余里渡ると対馬国(つまこく)に至る(「始度一海千餘里、至對馬國」)。大官は卑狗(ひこ)、副官は卑奴母離(ひなもり)。絶島で400余里四方の広さ。1000余戸が有る。山は険しく、道は獣道のようで、林は深く、良い田畑がなく、海産物で自活。船で南北岸の市へいく。
また南に瀚海と呼ばれる海を1000余里渡ると一大国に至る(「又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國」)。官は対馬国と同じ。300余里四方。竹、木、草むら、林が多い。3000の家族が住める。田畑はあるが足りず、市へいく。
また海を1000余里渡ると末盧国(まつろこく)に至る(「又渡一海千餘里、至末盧國」)。4000余戸が有る。草木が茂り、前を行く人が見えない。魚やアワビを捕るのを好み、皆が潜る。
東南へ500里陸行すると伊都国(いとこく)に到着する(「東南陸行五百里、到伊都國」)。長官は爾支(にき)、副官は泄謨觚(せもこ)と柄渠觚(へくこ)。1000余戸が有る。丗、王が居る。皆は女王国に属する。帯方郡の使者の往来では常に駐在する所。
東南に100里進むと奴国(なこく)に至る(「東南至奴國百里」)。長官は?馬觚(しまこ)、副官は卑奴母離。2万余戸が有る。
東へ100里行くと不弥国(ふみこく)に至る(「東行至不彌國百里」)。長官は多模(たも)、副官は卑奴母離。1000余の家族が有る。
南へ水行20日で投馬国(とうまこく)に至る(「南至投馬國水行二十日」)。長官は彌彌(みみ)、副官は彌彌那利(みみなり)である。推計5万戸余。
南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国[2]に至る(「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日陸行一月」)。官に伊支馬、弥馬升、弥馬獲支、奴佳碑があり、推計7万余戸。

その他の国
女王国より北方にある、対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国、邪馬壱国の他に、遠くに在って国名だけしか分からない国として斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、 呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国[3]があり、女王国はこれら20数カ国を支配していた。日本列島の全てを支配した訳ではなく領域外の国々もあり、特に南の狗奴国の男王卑弥弓呼と不和で戦争状態にあった。

女王国の北方の諸国には「一大率(或るいは一支率)」という官が置かれて国々を監視している。一大率は伊都国にあり、魏の刺史のような役目を果たしている。伊都国は外交の中心地で魏や韓の国々の使節はここに停泊して文書や贈物の点検を受けて女王に送っている。

租税や賦役の徴収が行われ、国々にはこれらを収める倉がつくられている。国々には市場が開かれ、大倭という官がこれを監督している。 帯方郡から女王国に至るには、1万2000余里ある。

倭人社会の風俗、生活、制度など
「皆面黥面文身」というように男子はみな墨や朱や丹を顔や体に入れたり塗ったりしている。
古くから、中国に来た倭の使者はみんな自らを大夫と称している。
男子は冠をつけず、髪を結って髷をつくっている。女子はざんばら髪。
着物は幅広い布を結び合わせているだけである。
兵器は矛・盾・木弓を用いる。
土地は温暖で、冬夏も生野菜を食べている。
人が死ぬと10日あまり、哭泣して、もがり(喪)につき肉を食さない。他の人々は飲酒して歌舞する。埋葬が終わると水に入って体を清める。
倭の者が船で海を渡る時は持衰が選ばれる。持衰は人と接せず、虱は取らず、服は汚れ放題、肉は食べずに船の帰りを待つ。船が無事に帰ってくれば褒美が与えられる。船に災難があれば殺される。
特別なことをするときは骨を焼き、割れ目を見て吉凶を占う。
長命で、百歳や九十、八十歳の者もいる。
女は慎み深く嫉妬しない。
盗みはなく、訴訟も少ない。
法を犯す者は軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにする。
宗族には尊卑の序列があり、上のもののいいつけはよく守られる。

倭と魏の関係

卑弥呼と台与(『三国志』では壹與)
元々は男子を王として70?80年経たが、倭国全体にわたって長期間にわたる騒乱が起こった(いわゆる「倭国大乱」と考えられている)。そこで、卑弥呼を女王に共立することによってようやく混乱を治めた。

卑弥呼は鬼道を祭祀して人心を惑わし、年老いても夫は持たず、弟が国の支配を補佐した。卑弥呼は1000人の侍女に囲われ宮室や楼観で起居し、めぐらされた城や柵、多数の兵士に守られていた。王位に就いて以来人と会うことはなく、一人の男子が飲食の世話や取次ぎをしていた。

卑弥呼は景初3年(239年)以降、帯方郡を通じて魏に使者を送り、皇帝から「親魏倭王」に任じられた。 正始8年(248年)には、狗奴国との紛争に際し、帯方郡から塞曹掾史張政が派遣されている。「魏志倭人伝」の記述によれば朝鮮半島の国々とも使者を交換していた。

正始8年247年頃、卑弥呼が死去すると大きな墳墓がつくられ、100人が殉葬された。その後男王が立てられるが人々はこれに服さず内乱となり1000余人が死んだ。そのため、卑弥呼の親族の13歳の少女の台与が王に立てられ国は治まった。先に倭国に派遣された張政は檄文をもって台与を諭しており、台与もまた魏に使者を送っている。

魏・晋との外交
景初3年6月(239年)に女王は大夫の難升米と次使の都市牛利を帯方郡に派遣して天子に拝謁することを願い出た[4]。帯方太守の劉夏は彼らを都に送り、使者は男の生口(奴隷)4人と女の生口6人、それに班布2匹2丈を献じた。12月、皇帝はこれを歓び、女王を親魏倭王と為し、金印紫綬を授け、銅鏡100枚を含む莫大な下賜品を与え、難升米を率善中郎将と為し、牛利を率善校尉と為した。
正始元年(240年)に帯方太守弓遵は建中校尉梯儁らを詔書と印綬を持って倭国に派遣して、倭王の位を仮授し、下賜品を与えた。
正始4年(243年)に女王は再び魏に使者として大夫伊聲耆、掖邪狗らを送り、奴隷と布を献上。皇帝(斉王)は掖邪狗らを率善中郎将と為した。
正始6年(245年)、皇帝(斉王)は詔して、帯方郡を通じて難升米に黄幢(黄色い旗さし)を下賜した。
正始8年(247年)、女王は太守王(斤+頁)に載斯烏越を使者として派遣して狗奴国との戦いを報告。太守は塞曹掾史張政らを倭国に派遣した。
女王位についた台与は掖邪狗ら20人に張政の帰還を送らせ、掖邪狗らはそのまま都に向かい男女の生口30人と白珠5000孔、青大句珠2枚、異文の雑錦20匹を貢いだ。
また、『日本書紀』の「神功紀」に引用される『晋書』起居註に泰始2年(266年)に倭の女王の使者が朝貢したとの記述があり、魏書陳留王紀によれば、この年、禅譲に先立ち東夷が朝貢したという記事があるので、この女王は台与と考えられている。魏に代って成立した晋の皇帝(武帝)に朝貢したものと考えられる。

倭人のその後
3世紀半ばの台与の朝貢の記録を最後に、5世紀の義熙9年(413年)の倭王讃の朝貢(倭の五王)まで150年近く中国の史書からは倭国に関する記録はなくなる(ただし、晋の南遷以前には具体的な種族名を記載しない「東夷」朝貢記事が複数存在しており、その中には倭国の朝貢もあった可能性もあるが、今日ではそれを確かめる術はない)。この間を埋めるものとして広開土王碑がある、碑には391年に倭が百済、新羅を破り、高句麗の第19代の王である広開土王(好太王)と戦ったとある。日本の歴史では4世紀は「空白の世紀」と呼ばれている。

論争
道程を、文字どおりに距離を測ると日本列島を飛び越えて太平洋の海の上になってしまうため、邪馬台国の位置や道程の比定を巡って論争が起きている。位置についての有力なものに畿内説と九州説がある。道程についても「連続説」と「放射説」がある(邪馬台国#位置に関する論争を参照)。

卑弥呼に関する記述から、卑弥呼は鬼道を司る巫女(シャーマン)である人物であり、邪馬台国は呪術国家とする見方がある。一方で、弟が政治を補佐したという記述もあり、巫女の卑弥呼が祭祀を司り、実際の政治は男子が行う二元政治とする見方もある(後の推古天皇と厩戸皇子との関係が例として挙げられる)。女王を戴いてたことから邪馬台国を女系国家と論じる者もいるが、卑弥呼以前は男王が立ち、卑弥呼の死後もまず男王が立ったと記述されていることから、異論も持たれる。

「魏志倭人伝」と『後漢書』倭伝との関係
范曄が著した『後漢書』「東夷伝」に、倭についての記述がある。 その内容は「魏志倭人伝」に酷似する。したがって范曄の『後漢書』倭伝は、陳寿の「魏志倭人伝」を基に書かれたとするのが今日の通説である。しかしその内容は微妙に異なり、『後漢書』倭伝には「魏志倭人伝」に書かれていない事も記す。このことから『後漢書』倭伝は、魏志倭人伝の原史料を直接参照しているとする説がある。

後漢書の魏志倭人伝に対応する部分
魏志倭人伝と後漢書の比較

脚注
^ 『後漢書』東夷伝に記載されている内容のほうが古いが、『後漢書』は『三国志』より後に書かれているため、内容と執筆時期が逆転している。
^ 現存する『三国志(魏志倭人伝)』の版本では、「邪馬壹國」、「邪馬一國」。5世紀に書かれた『後漢書(倭伝)』では「邪馬臺国」、7世紀の『梁書(倭伝)』では「祁馬臺国」、7世紀の『隋書』には魏志(魏志倭人伝)のいう「邪馬臺」(都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也)とある。壹は臺の誤りとする説が有力であり、臺に替えて台を用い「邪馬台国」とすることが多い。「邪馬壹國」説もある。
^ 先に詳細が記されている奴国と同一とする説がある。
^ 現行の『三国志』では景初2年(238)とする。しかし姚思廉の『梁書』や『太平御覧』が引用する『魏志』では、遣使の年を景初3年(239年)とし、『日本書紀』の神功皇后39年(年の干支は太歳己未)の分注で引用される『魏志』も、明帝景初3年6月とする。魏が帯方郡を治めたのは、景初2年8月23日(238年)公孫淵が司馬懿に殺された(『三国志』魏志公孫淵伝)後であるため、通説では239年が正しいとされる