第一次世界大戦後のドイツでは、連合国側に対して1320億金マルクの賠償金支払いが課された。しかし、これはドイツの支払い能力を大きく上回っており賠償金の支払いは滞った。これを理由に1923年、イギリスの反対を押し切ってフランス・ベルギーが屈指の工業地帯であり地下資源が豊富なルール地方を軍事占領した。このため、従来の賠償金支払いに加えて、地下資源を輸入に依存せざるを得なくなり、現地で進駐に抵抗するストライキを起こした住民への経済的補償も必要とされた。既に第一次世界大戦中よりドイツではインフレが進行していたが、これらの事態により致命的な状況へと導かれ、空前のハイパーインフレが発生した。この結果、1年間で対ドルレートで7ケタ以上も下落するインフレとなり、パン1個が1兆マルクとなるほどの状況下で、100兆マルク紙幣も発行されるほどであった。
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この破滅的な状況下で、ドイツの人々はヴェルサイユ体制への不満を募らせたが、シュトレーゼマン首相のレンテンマルク発行などにより奇跡的にインフレが収拾されたこともあり、この段階では議会制民主主義が揺らぐことはなかった。このインフレ期にアドルフ・ヒトラーが起こしたミュンヘン一揆も、失敗に終わっている。
しかし、1929年の世界恐慌でドイツ経済が再び崩壊すると、議会制民主主義への信頼は失われ、ヴェルサイユ体制打破を掲げる反動的なナチスへの支持が急増し、ファシズム政権の成立へと至った。
ハンガリーのインフレ [編集]
ハンガリーでは第二次世界大戦後に激しいハイパーインフレーションが発生した。このときのインフレでは16年間で貨幣価値が1垓3000京分の1になったが、20桁以上のインフレは1946年前半の半年間に起きたものである。大戦後、1945年末まではインフレ率がほぼ一定であり対ドルレートは指数関数的増大にとどまっていたが、1946年初頭からはインフレ率そのものが指数関数的に増大した。別の表現でいえば、物価が2倍になるのにかかる時間が、一ヶ月、一週間、3日とだんだんと短くなっていったということである。当時を知るハンガリー人によると、一日で物価が2倍になる状況でも市場では紙幣が流通しており、現金を入手したものは皆、すぐに使ったという[1]。
1946年に印刷された10垓ペンゲー紙幣(紙幣には10億兆と書かれている)が歴史上の最高額面紙幣であり(ただし、発行はされていない)、最悪のインフレーションとしてギネスブックに記録されている。
なお、実際に発行された最高額面紙幣は1垓ペンゲー紙幣(紙幣には1億兆と書かれている)である。
※1京は1兆の1万倍(10の16乗)、1垓は1京の1万倍(10の20乗)
アルゼンチンのインフレ [編集]
1988年、経済成長の後退からハイパーインフレが発生。1989年には対前年比50倍の物価上昇が見られ、1992年にアルゼンチン・ペソと米ドル間の固定相場制を導入するまで、経済が大混乱となった。国家財政の破綻はもちろんのこと庶民のタンス預金は紙屑同然となった。